シャイン・オン!キッズについて

創立者からのメッセージ

理事長 キンバリー・フォーサイス

2006年 タイラー基金設立に際して

ある晴れた土曜の午後、生後1ヵ月の息子が白血病だと医師から告げられました。あっという間の宣告でした。「赤ちゃんも白血病に罹るの?」愚かにもそんな質問を私は医師にしていました。小児がん病棟に足を踏み入れてすぐわかったのは、赤ちゃんは白血病だけでなく様々な種類のがんにも冒されるのだということでした。白血病(血液のがん)は子どもが罹るがんのうち最も多いものですが、難しい名前が付いたがんも信じられないほどたくさんあり、闘っている子どもたちの年齢も様々です。その難しい名前のがんに罹ると、本人も親も医学部の学生が羨むほどの速さでその病の専門家になります。

タイラーの病気がわかってからしばらくの間、我が子ががんに罹ってしまう私のような親なんてすごく珍しいにちがいないと思っていました。幸いにも一般的にはそう言えるでしょう。でも小児がん病棟には、たくさんの子どもとその親が、励まし合い、慰め合う姿がありました。がんを患う子どもは皆特別な存在です。そして、とても勇敢で驚くほど立ち直る力を持っています。

それまで元気だった子どもががんだと診断されたら心が打ちのめされます。入院していなければその子が楽しめるであろう様々なことを考えると心が痛みます。次から次へと施される治療に、たとえそれが運良く病気を治してくれるものだとしても、勇敢に立ち向かう子どもたちの姿を見るのは心が張り裂ける思いです。そして、治療法がないことがわかった時は、それはそれは悲しい思いをします。

日本の医療は確かに質が高いのですが、日本ではリスクを最小限にとどめるために患者は治療期間中のほとんどを病院で過ごすことになります。それは9ヵ月から1年と長いものです(息子の場合は2年近くになりました)。ほとんどのがんの子どもは、常に苦痛にさらされているというわけではありません。治療の間中、彼らは何とか生活を楽しもうと本当にあらゆる努力をしています。でも、病院では時がゆっくりと過ぎていきます。気晴らし、ちょっと寄りかかれる肩や希望のひとかけらが支えなのです。健康な3歳の子どもでも、新しいおもちゃや初めて行く場所には大喜びします。ひとつの病棟にこもりっきりの子ども、化学療法を受けてベッドから出られずにいる子ども、単調な日々を送る彼らにとっては、ほんの小さなことが刺激や喜びになるのです。

外国人の私は日本の病院でコミュニケーションを取るのに四苦八苦していました。そんな私に、病院のスタッフや他の親御さんたちはたくさんの愛情と支援をくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。でも彼らだって大変なのです。看護師さんたちは忙しく、他のお母さんたちは私と同じように怯え、疲れていました。そして、病院の外にいる健康な子どもを持つ親は、非常に重い病気の子を持つ親たちが毎日何を考え、どんな気持ちでいるのかを真に理解することはできなかったのです。それは期待するわけにはいかないことです。そうわかっていても、私のような親の多くは、誰かに話を聞いて欲しくてたまらないのです。子どもたちは単調な生活に変化が欲しいと強く思っています。そして、誰もが最新の研究結果の朗報を心から待ち望んでいるのです。

がんの治療を受けている子どもたちは助けを必要としていますし、もっと支えを受けるべきです。それは彼らの親たちにもいえることです。タイラー基金は、子どもたちを笑顔にさせ、親たちを支え、また医師の研究を資金援助することで皆に希望を与え、日本の医療がより良いものとなるよう支援したいと思っております。

がんは私にたくさんのことを教えてくれました。その多くが初めは決まり文句にしか聞こえなかったのが、最後には真実となりました。基本の一つは一日一日を大切に生きること。タイラー基金も一歩ずつ、一日ずつ、前進し輝き続けます。シャイン・オン!

副理事長 マーク・フェリス

2006年 タイラー基金設立に際して

私たちは何と恵まれているのだろうか。悲しく、どうすることもできない出来事からさえも何か素晴らしい物が生まれ出ようとしている。そのことに我々は感謝しなければならない。タイラー基金は、幼い時期にがんに罹ってしまった多くの人たちの生活を変えることができるだろう。私たちのイベントのスポンサー、オーガナイザー、支援者、有名人を含めたイベント参加者も、他の人たちのために何かをすることで得るものがあるだろう。熱意を持つ人たちが集まり、様々な活動を通して誰かを助けることができる。タイラーの短い生涯がもたらした恩恵だ。タイラー、このような機会を与えてくれてありがとう。シャイン・オン! 輝き続けよう!

医療顧問 熊谷昌明先生からのメッセージ

タイラー基金の設立時から主要メンバーとして多大なるご尽力をいただいてきた熊谷昌明先生が、2012年3月1日、その生涯を閉じられました

2006年のタイラー基金設立の際にいただいた熊谷先生の力強いお言葉を、先生とともに過ごしたかけがえのない日々の思い出とともに掲載させていただきます。

私は国立成育医療研究センター血液科の熊谷昌明と申します。私は成育センターの前身である国立小児病院血液科に1986年に赴任して以来、1,000人近くの小児がんの子どもたちの診療にあたって参りました。また、1993年からの2年間は米国の小児がん専門病院であるセントジュード小児病院において白血病の研究に従事する機会を与えられ、同時に小児がん治療の先進国である米国の臨床に接して参りました。

小児がん治療の進歩は目覚しく、40年前にはほとんど「不治の病」であったものが、現在では7割以上の患者さんに治癒がもたらされるに至っています。しかし、治療内容は厳しく、高度になっており、多くの場合、闘病中の患者さんとその家族への負担はより大きくなっています。その一方で、現在の医療をもってしても治癒が難しい疾患が存在します。残念なことに私たちは今でも2割以上の患者さんを失っているのです。私たちは、そのような難治疾患の克服に向けて研究を進めるとともに、患者さん、ご家族の負担を減らし、闘病の毎日がより明るいものとなるように努力しております。

タイラー基金は、私たちの愛した患者タイラー・フェリスを記念して設けられました。タイラーは2003年8月、生後1ヵ月足らずで乳児白血病を発症しました。タイラーの血液には1立方ミリメートルあたり150万個という、測定機械の限界を超えるほどに高度の白血病細胞の増殖がみられました。ICUで人工呼吸、血液透析のもとに開始された治療が奏効し、白血病細胞は検査では確認できないまでに減少しました。その後、母親からの骨髄移植が行われ、私たちは治癒への期待を持ちました。しかし、骨髄移植から9ヵ月後に再発が確認され、2005年6月、タイラーの2年足らずという短い命の灯は消えました。

タイラー自身、ご家族、そして私たち医療スタッフは力を合わせて闘いましたが、残念ながらゴールにたどり着くことはできませんでした。私たちはひょっとすると後一歩のところまで到達していたのかもしれません。しかし、その一歩を得るためには、まだ多くの人たちの努力と研究が必要だと思われます。タイラー基金は、小児がんの子どもたちの命を救いたいと考え、努力している人たちにささやかながらご支援を行いたいと考えています。

タイラー基金は、研究だけではなく、患者さんとご家族を幸せにするための援助を行いたいと考えています。治療は、患者さんとご家族のそれぞれに体の上でも気持ちの上でも大きな苦しみをもたらします。患者さんにとっては、毎日の投薬や検査の辛さ、家に帰れない寂しさであり、ご家族にとっては、子どもを失うかもしれない不安、子ども一人を病院に残す苦しみ、逆に残された家族と別れて暮らす辛さなどです。このような苦しみを少しでも軽くし、病院での日々をより明るくするための援助が行えればとタイラー基金は考えています。

私が小児がんの患者さんを見ていていつも思うことをお話して結びとしたいと思います。小児がんの患者さんは「可哀想な」子どもではありません。もちろん落ち込んだり、怒ったりすることもありますが、皆、幸せでいきいきとしています。健康な子どもと変わりなく、笑ったり叱られたりしています。また、私たちはそんな彼らに励まされて毎日の仕事に向かうことができるのです。

タイラーは驚くべきことにその人生の大部分の時間をニコニコ笑って過ごしていました。タイラーの笑顔は、私たちを勇気づけ、精一杯の仕事ができるように支えてくれました。

小児がんの子どもたちの幸せのためにタイラーが残してくれたこのタイラー基金を通じて、皆様のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

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