2011年11月22日

浦嶋 健さん

右から浦嶋健さんと奥様、ニコニコ大使プログラム・コーディネーターの福本敬子

by ガエタノ・トタロ (シャイン・オン!ニコニコ大使)

タイラー基金のニコニコ大使として、私は東北地方で多くの素敵な人々と出会いました。「東北」の人々は優しく、寛大で気さくです。とても強くて、彼らの回復力には本当に感動させられます。

被災した地域は、私達が行っている「笑うセラピー」を最も必要としています。教育機関は3月11日の震災以降大きなプレッシャーを受けてきました。教師たち自らも被災者であり、自分達の問題に対処しながら、同時に震災後のトラウマによるストレス障害を患う多くの子どもたちを支え、教育カリキュラムを正常に戻せるように一歩ずつ努力されています。ニコニコ大使が東北地方の学校を訪問する日程調整は当初大きな課題となりました。最初は、東京から直接学校へ電話をすることから始まりました。タイラー基金の名前はNPO法人の間では知られているものの、一般的にはそうではありません。しかも、震災直後の数か月の間、地域は援助のオファーであふれかえっていました。私達は、タイラー基金のプログラムが支援活動に不可欠である事を確信しており、なんとか地域へのアプローチのきっかけをつかもうとしていました。

6月になると、被害の大きかった港町の大船渡から25分ほど内陸に入った住田町というところを拠点として本格的に活動を開始しました。住田町では廃校になった小学校をボランティアの宿泊施設として開放していたのです。岩手南東部の子ども達とのショーやワークショップを終えると、ベースキャンプ近くの小さな温泉で汗を流していました。
ある日、更衣室で私と同じくらいの年齢の男性と一緒になりました。その男性が体重計に乗ると、なんとも情けない電子音でビートルズの「イエスタデイ」が鳴りだしました。その瞬間、彼と私の目が合い、何と言えば良いのかわからなかったのですが、とっさに日本語で「太った?」と言ってしまいました。その場にいないとそのおかしさはわからないと思いますが、私たちは二人でゲラゲラ笑い転げ、そこから会話があふれだしました。名刺交換がわりに、私は自分の事を「タイラー基金のニコニコ大使」と紹介し、プログラムについて説明しました。彼のほうは、海産物の販売・加工会社をやっているとのこと。会社は津波で完全に破壊され、自宅はひどいダメージを受けたが幸いなことに家族は全員無事、自宅の2階で生活を続けている、とのお話でした。それが浦嶋健さんとの出会いです。

健さんの2人のお子さんは私たちが定期的に訪問していた地域の学校に通っていて、私達の活動にとても感動し、興味を持ってくれました。私たちが学校に働きかけるため苦心していることを説明すると、彼はすぐに手伝ってあげる、と言ってくれました。その翌日、私たちは地元の有力な議員さんのお宅でお茶をご馳走になっていました。私達が必要としてさがしあぐねていたもの、外から来た私たちが地域で活動できるための地元の強い支援者につながったのです。この時から、健さんはニコニコ大使プログラムの非常に重要な存在となってくれました。彼は私たちのプログラムがきっと効果をあげると強く信頼してくださり、私達にできるかぎりの機会を作ってくれました。彼の人柄や評判のおかげで、今まで閉ざされていた数々の扉が開かれ、地元の人々からの信頼を得ることができました。健さんが私達にたくさんの学校や保育所を紹介してくれたおかげで、たくさんの子ども達との交流が可能になったのです。

健さんの子ども達は今ではニコニコ大使の大ファンです。健さんの奥さんは時々私達においしい食事を作ってくれます。自宅から遠く離れた被災地に居るのに、まるで家でくつろいでいるかのような気分です。更衣室でのおかしな出会い以来、健さんは私達が訪問するほとんどすべての学校に同行してくれました。ほんとうにいろいろなショーをやってきましたが、彼はいつも後ろでニコニコして見守っていてくれます。健さんは、自分に外国人の友達ができるとは思いもしなかったと言いました。でも実は私たちはよく似ています。互いに家庭を持つ父親であり、個人事業を営んでおり、そして困難にさいして正しい行動を行おうとする性質なのです。この7ヶ月で、彼は私の大切な友人となり、タイラー基金のニコニコ大使プログラムにとって欠かせない存在となりました。
笑顔には国境はなく、笑いはあらゆる年代の子ども達にとっての良薬なのです。