2006年7月31日

インタビュー:南アフリカの伝説のクリケットプレーヤー バリー・リチャーズ氏

南アフリカの伝説のクリケットプレーヤー バリー・リチャーズ氏
南アフリカの伝説のクリケットプレーヤー バリー・リチャーズ氏

バリー・アンダーソン・リチャーズ氏(1945年7月21日生まれ)は南アフリカの最も成功したクリケッターの一人です。1964年から1983年にかけて、ファーストクラスクリケットにおいて何度ものトレードを繰り返し、28,358のランを誇る経験豊富な打者となりました。ベスト356、平均 54.74を含む80センチュリーを記録しました。また1日のランで16のセンチュリーを含む、8,506を得点しました。1969年のウィズデン・クリケッター・オブ・ザ・イヤーに選ばれたリチャーズ氏はグロスタシャー、ハンプシャー、ナタル、南オーストラリア、トランスバール、そしてワールド・シリーズ・クリケットでランを記録し、”20世紀の最も有能なプレーヤー”の一人とも言われています。

バリー・リチャーズ氏は、当団体のチャリティイベント、スポーツ・エクストラバガンザ2006に参加するセレブリティゲストの1人です。スポーツ・エクストラバガンザでは、スポーツ・セレブリティによる病院への慰問祝宴ゴルフデイクリケットマッチなどが行われます。以下、来日を控え、タイラー基金の共同創立者であるマーク・フェリスがバリー・リチャーズ氏に行ったインタビューです。

まず始めにバリーさん、9月にお会いするのを楽しみにしていますよ!日本に行かれたことはありますか?

面白いことにこれがあるんです!1970年…かなり昔ですね(笑)!日本を見てみたくて、たまたま旅行エージェントを通してそのような機会を得られたので、イギリスへ行く前、日本を旅しました。

今回の訪問に対する印象と期待することをお聞かせください。

37年も経てば日本もかなり様変わりしているのでしょうね!日本は多くの人を魅了しています。日本は多くの面において東洋の最強国家として先端を走っていました。多分今もでしょうね。昔は日本で作られたおもちゃは全然良くありませんでした。しかし今や’Made in Japan’はある種ブランドのようなものです。

ええ、そうですね。多分日本のビル群を見たら驚かれると思いますよ。ところで、あなたは現在、たくさんのコメンテーターとしての仕事もしていらっしゃいますが、クリケットから引退した後はどのようなことをされていらっしゃるのですか?

引退してからはクリケットの運営の方にまわりました。数年間、ナタルのクリケットの監督を務めた後、ヘッドハンティングをされて、南オーストラリアへ行き、1988年には家族でオーストラリアに移住し、州のコーチを務め、シールド・ファイナルにも進出しました。その後、クイーンズランド・クリケットの CEOの職をオファーされ、9年間その職を務めました。それが1990年後期のことです。そしてコメンテーターとしての仕事を始めました。

コメンテーターとしての仕事は楽しいですか?

ええ。ゲームに関っていられますし、ゲームに関り続けるには良い方法だと思います。アンパイアや審判にはあまり惹かれなかったんです。だからこれが私にとって一番の方法でした。

誰と一緒にコメントするのが楽しいですか?

皆、昔プレーしていましたし、共通の興味を持っているわけですから、基本的にどんなコメンテーターとも仲良くなっていますよ。皆さんのことを尊敬していますしね。出来ればやりたくないと思う人も数人いますが、基本的にはどなたもとても素晴らしい方々ばかりですよ。

バリーさん、あなたのキャリアを振り返ると、南アフリカの孤立のため、あなたはたった4回のオフィシャルテストでしかプレーしていません。しかし多くの面においてそれは南アフリカのクリケットの頂点だったと思います。シリーズについてお話いただけますか?

シンプソンサイドはそれまで4年間やってきました。彼らは当時、今日のように多くのテストをプレーしたことがありませんでした。今やエンドレスでサーカス、回り道のように見えますけどね。当時、私はもちろん、皆がとても楽しみにしていて、私はそれまで一度もシリーズでプレーしたことがなかったことにとてもがっかりしました。それにいくつかの問題もありました。ツーリングチームに対して平均80をスコアしながらテストマッチのチャンスを得られないというのは、来年のチャンスまで待たなければならないということを考えてもとてもがっかりするものでした。しかしチャンスがやってくると、私はとても楽しみましたし、良いプレーが出来ました。そしてあなたがおっしゃるように、私がテストクリケットを始めてすぐに終わってしまったのはとてもがっかりする出来事でした。50、70、そして100のテストマッチをプレーしてきた選手と共にプレーし、自分は彼らと同じだけの才能があると知りながら、それを見せる場がないのです。

シリーズの中で最も印象的だったシーンを教えてください。

ホームグラウンドで100のスコアを挙げたことでしょう。しかもランチ後の最初の試合でのことです。それが私にとってシリーズの頂点だったと思います。なぜなら(a)、ダーバンで行われたから、(b)、グラウンドがチョカ・ブロックだったから、です。相手を引き離していました。しかもランチの後に華やかにやってのけたんですよ。もちろん、シリーズを勝つことは素晴らしい体験でした。

あなたはグロスタシャー、ハンプシャー、ナタル、南オーストラリア、トランスバール、そしてワールド・シリーズ・クリケットでプレーしました。印象に残っていることをお話いただけませんか?

デニス・リリーや彼に匹敵する選手たちがいるオーストラリアとワールド・シリーズ・スーパー・ファイナルで戦ったときでしょうね。ケリー・パッカーはとても強く、いつも接戦で、”勝者が全てを奪っていく”といったかんじでした。そして私たちは最後のイニング、ウィケットで230を獲得しなければなりませんでした。簡単なはずがありません。結果、6つのダウンをしました。私とマイク・プロクターの80~90のほんの少しのパートナーシップで追い付くところでした。プロシーはあと15~20のランが必要だったと思います。しかし私たちは一線を越えることが出来ました。そうですね、これが一番印象に残っていることでしょうか。100のランをし、ゲームに勝ったことです。接戦でしたね。それにしてもなぜICCがファースト・クラス・クリケットでありながら、ワールド・シリーズ・クリケット、そしてテスト・クリケットさえアワードを与えないのかがわかりません。それに最近ではバンラデッシュやジンバブエでさえテストステータスを与えられているのに、ワールド・シリーズ・クリケットは与えられてないのです。

良いポイントですね。全体的にはワールド・シリーズ・クリケットはゲームに関しては良いと言えますか?

ええ、間違いなく。たくさんのポジティブな面があります。ナイト・クリケットはここから生まれました。ホワイト・ボールもです。たくさんのルール変更も生まれました。色付きのギアもです。これら全て、ワールド・シリーズ・クリケットから始まったのです。

バリーさん、あなたは現役時代、たくさんのボウラーと対戦したと思いますが、誰が一番でしたか?そして最も対戦したくない相手は誰でしたか?

大体いつもレフトアームオーバーに振り回されましたね。でも時と場合によります。もしファスト・ウィケットを取ったら、好んでリリーやプロクターの方へ行きますが、ターニングバックだったら、アンダーウッドやビシャン・ベディの方へ向かいます。本当にコンディションによります。それは本当に素晴らしいファスト・ボウラーがたくさんいた70年代後期の話です。シルベスター・クラークはウェスト・インディーのためにたった10のテスト・マッチしかプレーしていませんが、今日のクリケット選手と比べても圧倒的に一番のボウラーと言えるでしょう。

あなたはまたたくさんの人々と対戦したと思いますが、その中で一番素晴らしかったのは誰ですか?

2~3人いますね。ヴィヴ・リチャーズは当時、最も素晴らしい選手の一人でした。彼は確か私の後に出て来たのだったと思います。もちろんグレーム・ポロックもそうです。私は彼とたくさんクリケットをしました。彼は本当に才能ある選手です。もっと世界的な舞台で活躍するチャンスがなくて本当に残念です。そしてグレッグ・チャッペルやグラハム・グーチといった選手です。その時代は本当に良い選手がたくさんいました。

あなたはコメンテーターとしての活動を通じて現在の現役選手もよくご存知ですよね。現在の選手ではいかがですか?

もちろんたくさんいます。最も有能な選手としてまず最初に思い浮かぶのは、シェーン・ウォーンです。彼は天才で最も素晴らしいスピン・ボウラーの一人でしょうね。グレン・マグラスもファスト・ボウリングにおいては素晴らしい選手ですが、シェーンを越えるのは難しいでしょうね。オールラウンダーの中では、ジャック・カリスやショーン・ポロックといった面々がいます。バッティングでは、テンデゥルカーやララ、そしてリッキー・ポンティングがいます。彼ら3人が打者の中では際立っていますね。

対戦した中で最も素晴らしいキャプテンは誰ですか?

最初の国際試合の相手はアリ・バッハーで、彼を大変尊敬しています。イアン・チャッペルは素晴らしい戦略家であり、スキッパーでした。最近ではステファン・フレーミングが素晴らしいと思います。彼はゲームを読むのが大変上手だと思います。

日本からインドへ行かれるようですが、インドでは何をされるのですか?

チャンピオンズ・トロフィーです。10のテスト・ネーションズ全てが1ヶ月以上に渡るワン・デイ・シリーズに参加します。

日本ではマイク・ガッティングやデヴォン・マルコムも参加してくださいます。

それは良いことですね。ガットとはキャリア後期まで一緒にプレーしたことがなかったのですが、私が31歳か32歳の頃、カウンティ・クリケットを辞めたとき、突如彗星のように現れたんですよ。彼の絶頂期には一緒にプレーすることが出来ませんでしたが。そしてデヴォン・マルコムです。彼がボールでプレーするのを見ました。南アフリカ相手に一度に9のウィケットを取ったんですよ!!とても素早いんですが、必ずしもどこへ行くかわからないんですよね!!

そしてライシーも来ます。あなたは彼とたくさんクリケットをプレーしましたよね。

クライヴとは長きに渡って一緒にプレーしました。彼もまたテスト・クリケットでプレーする機会があまりなかった可哀相な選手の一人です。素晴らしいクリケッターでした。

バリーさん、本日はお時間ありがとうございました。日本でお会いしましょう。

ありがとうございます。