2006年8月1日

インタビュー:インドの伝説的クリケット選手 カピル・デヴ

インドの伝説的クリケット選手 カピル・デヴ
インドの伝説的クリケット選手 カピル・デヴ

カピル・デヴ・ラムラル・ ニカーンジ(1959年1月6日生まれ、チャンディガル出身)は、カピル・デヴの名でより知られているインド人元クリケット選手です。クリケットインド代表チームのキャプテンを務め、1983年のクリケット・ワールドカップで優勝しました。1994年に引退し、テストクリケットで最多奪ウィケット数の世界記録を保持しています。また同時に、テストおよびODIの両形式においてインドの最多ウィケット奪取選手でもあります。また彼は、テストクリケットで 400以上のウィケットを奪い5000以上のランを記録した、史上唯一の選手でもあり、最も偉大なオールラウンダーの1人です。カピル・デヴは、1999 年10月から2000年8月までの10ヶ月間、インド代表クリケットチームのコーチでもありました。2002年、彼はウィズデンのインディアン・クリケッター・オブ・ザ・センチュリーに選ばれました。

カピル・デヴは、当団体のチャリティイベント、スポーツ・エクストラバガンザ2006に参加するセレブリティゲストの1人です。スポーツ・エクストラバガンザでは、スポーツ・セレブリティによる病院への慰問祝宴ゴルフデイクリケットマッチなどが行われます。以下は、タイラー基金の共同創立者マーク・フェリスによる、日本訪問を控えたカピル・デヴへのインタビューです。

まず始めにカピル、9月にあなたを日本でお迎えできることを大変喜ばしく思っています!クリケット引退後は何をされていたか、教えていただけますか?あなたは家庭を大事にされていますし、娘さんがいらっしゃいましたよね?

そうですね、まず家族の事に時間を割いて面倒を見ています。それからゴルフを始めました。それからチャリティー。これら3つのことが、引退後の私にとって最も重要なことですね。

どのようなチャリティーを行っているんですか?

貧しい人たちの力となって、彼らを教育し、仕事を世話して、働くことやどんな仕事でも恥じないことを教えるための組織をやっています。

あなたはローレウスのメンバーで 、このほど年次表彰ディナーに出席されたと聞きました。その組織についてもう少し教えていただけますか?

ローレウスはチャリティーのために様々な事を行っています。多様なスポーツや国の42人のメンバーがいます。我々は一団となって、スポーツを通じて何ができるかを探っています。なぜならスポーツには世界を変える力がありますからね。それが私たちの考え方です。

そうですか、あなたのご訪問を通じて私たちが日本で達成しようとしていることと同じですね。つまりスポーツを通じてポジティブな変化を起こすということです。

そうですね、どうしてチャリティーをやるのか、と多くの人に聞かれます。社会にとって、または世界にとって何か良いことをしたいという気持ちが無ければ、チャリティーを行う意味がありません。しかし、もし本当に強くそう思うならば、自分の時間や人生の5%を助けを必要としている人たちにお返しするべきです。それによって大きな違いが生まれると思います。そして私はそれをしたいと思っているのです。

クリケットに話を進めて、ご自身の輝かしい経歴についてですが、一番思い出深かった出来事は何でしょうか?

そうですね、私個人にとっての最高の出来事と私の祖国にとっての最高の出来事があり、それは同じではない場合もあります。しかし1983年のワールドカップは、私にとっても祖国にとっても非常に重要な出来事でした。

そしてあなたはテストウィケットの最多記録を保持していますね。記録はあなたにとって重要でしょうか?

その当時は重要でした。人は目標をたてて、それに向って努力しなくてはいけません。あらゆる人間の理念は、何かを達成することです。そして自らの目標は非常に明確でなければなりません。プレイしていた当時、私の目標は世界で一番になることでした。そしてそれを達成しました。それは嬉しい事ですし、誇りに思います。

インドのセンチュリー・オブ・ザ・プレイヤーにも選ばれていますね。これもとても名誉なことですよね?

私にとって、あるいはどんなスポーツマンにとっても、自分のやっているスポーツの中で、自分が最高のスポーツマンだと言われることは、スポーツ選手に与えられる最高の名誉だと思います。私の考えではそれに勝る名誉はありえません。

あなたは偉大なオールラウンダーがいた時代にプレイをしていました。あなた以外には、イムラン、リチャード・ハドレー卿、イアン・ボーサムがいました。「偉大なオールラウンダー」の未来はどうなるでしょうか?現代のクリケットでは、素晴らしいオールラウンダーの数が少なくなっているように思えます。

今のクリケットのプレイのされ方については、少し驚きを感じています。もっとオールラウンダーがいるべきです。あらゆるチームにオールラウンダーは必要です。しかし残念なことに、近ごろでは昔ほどオールラウンダーを目にしません。そのことには驚かされますし、今後変わっていって欲しいと思います。

テストでプレイした長いキャリアの中で、数多くの選手と出会ってきましたよね。投球するのに最も難しいバッツマンは誰だったでしょうか?

そうですね…(笑い)。最も難しいバッツマンは誰、ではなくて、最も魅力的なバッツマンは誰、なら簡単な質問なんですけどね!!私にとって魅力的というのは、チャレンジする気持ちがある人、誰かを打ち負かそうとしている選手ですね。難しい選手と言うのは、ジェフリー・ボイコットのような人です。10オーバープレイしても、あまりランを取らない。そして私を疲れさせる!それが難しいバッツマンですね、魅力的なバッツマンではなく。ヴィヴィアン・リチャーズのような選手は、私が投げた中で最も魅力的なバッツマンです。というのも、いくら私が良いボールを投げても、彼はそれを打って4ランにすることができましたし、チャレンジ精神がありました。そうすれば、私も彼のチャレンジに対抗してより上手く投げるようになります。ですから、魅力的なバッツマンはヴィヴィアン・リチャーズのような選手で、難しいバッツマンは、あまりランを取らず、ただクリースから離れようとしない選手ですね。

どのボウラーが、対戦するのに最も難しかったでしょうか?

同じようなことですね。私の調子が良ければ、どんなボウラーが投げようと関係ないんです。どんな選手でも簡単でした。でも調子が悪いときは、アマチュアのボウラーでさえ難しく感じるものですよ!(笑い)私のパフォーマンスは、ボウラーを実際よりもかなり上手いか、またはより平凡に見せる傾向がありましたね。しかしリチャード・ハドレーはとても魅力的なボウラーだったと思います。それにワシーム・アクラムは、様々なボールを投げて試合に勝つことができる選手の1人でした。

偉大なスピナーについても名前を挙げることはできますか?

私にとってスピナーの方がかなり対戦しやすかったのですが、それでも我々の時代の中で、カディールはとても上手いボウラーでした。また私のチームでは、ビシェン・ベディとプラサナは当時とても上手かったです。今の時代では、シェーン・ワーンとムラリタランは素晴らしいボウラーですね。驚くべき技術と才能を持っています。彼らのコントロール力とそのパフォーマンスは目を見張るほどです。

ペースボウラーには不向きなピッチとされているインドで、あなたは多くのウィケットを奪取しましたね。そのような条件で、どうやってウィケットを獲得したんでしょう?

こう考えてみてください。私はインドでクリケットを学びました。ですから、そのピッチが私に不向きだと言われることはありませんでした。あらゆるタイプのピッチでプレイして、どんなピッチも自分に合ってるし、そこでウィケットを取らなくてはいけない、と思っていました。こういうウィケットは嫌だなんて思ったことはありません。それが大きな違いだったのです。

先日マイク・ガティングにインタビューしたのですが、彼はインドでのプレイはかなり尻込みするようなこともあるとおっしゃっていました。訪問チームがインドでプレイすることについて、どのようにお考えでしょうか?

同じことだと思います。慣れない国でプレイするのは難しいことです。人は誰でも、自分が生まれ育ってクリケットを学んだ国でプレイする方がより楽なものです。ですから、ヨーロッパやイングランド、オーストラリアから来た人にとって、インドは怖じ気づくような場所になりえます。観衆が多くて、声援もすごいですからね。確かに難しいのですが、もし国際的なレベルでスポーツをプレイするならば、それは避けられないことです。

インド以外で、あなたがプレイしたことのある会場で特に好きだったのはどこでしょうか?

ヨハネスブルクはとても良かったと思います。それにメルボルン、ローズ。西インド諸島も好きでした。バルバドスの人たちのおかげで、そこでプレイするのが楽しかったんだと思います。ジャマイカは美しくて小さなグラウンドでした。その当時、そこで対戦したクリケッターは本当に素晴らしい選手達でした。そこでプレイすることは、本当に特別な喜びでした。

あなたは1978年にファイサラバードで行われたパキスタン戦でデビューをしましたね。テストクリケットで最もエキサイティングな対戦の1つは、インドとパキスタンというライバル同士の戦いです。長年にわたるパキスタンとのライバル争いについて、どのように振り返りますか?

そうですね。2人の兄弟が引き裂かれると、どちらも世界で一番になりたがる、という風に私はいつも考えています。兄弟間の競争はとても激しくなることもあります。1つだった国が2つの国に分かれたため、どちらの国も互いの優位に立ちたがっている、と考えてみてください。それが、あの対戦が何よりも激しくありつづける理由です。なぜなら誰も負けたくないからです。ですから、国民や選手の敵対心や熱意が顕著にあらわれるんでしょう。

インドには近代、素晴らしい選手たち、特にガングリー、テンドルカール、ラックスマン、セワーグなどの素晴らしいバッツマンがいますね。インドは持てる力を十分に発揮しているとお考えですか?

今のところ、彼らには技術と才能はありますが、イレブン全員の熱意が欠けていると思います。個々の選手が上達することは重要かも知れませんが、チームのため、または祖国のために勝とうとしなければ、こうした素晴らしい選手達も、最高の選手にはなりえません。彼らには技術はあります。しかし残念ですが、彼らはもっと多くの試合に勝つことができたはずです。

キャプテンシーについて話を進めますが、共にプレイをした、または対戦した中で偉大なキャプテンといえば誰でしょうか?

それはチームに大きく依存しますね。私は選手時代に、様々なキャプテンと対戦しました。例えばクライヴ・ロイド。彼の場合はチームが素晴らしかったのだとよく言われますが、14、15人の選手全員を1つにまとめるということは、15の国が参加しているような場合には簡単なことではないと思います。ジャマイカは1つの国で、バルバドスはまた別の国、その他の国も同様です。これらの国々はいまだに1つのチームとしてプレイをしているし、成績を残してチームのキャプテンを尊重しなくてはいけません。イムラン・カーンようなキャプテンには敬服します。またスリランカ人のラナトゥンガのチームは、とても熱意のあるチームでしたが、それほど強くはありませんでした。とても才能があるのに、最高のチームと対戦するための自信が欠けていたのです。ですが、ある日突然、ラナトゥンガがやってきて、選手に自信を与え始めたのです。

ご存じのように、本当に優れた選手の一団が日本にやってきます。たとえば南アフリカからクライヴ・ライスやグレイム・ポロックなど。あなたはキャリアの後期に、孤立化状態から復帰した南アフリカと対戦しましたよね。あなたが出会った南アフリカ人について、どのようにお考えですか?

そうですね、彼らはとても…(笑い)彼らは典型的なアフリカ人ですよ!とても強くてタフで、イギリス人選手とは違います。彼らはもっとずっとタフで、アフリカの天気も彼らにぴったり合っていたと思います。彼らが長い間、国際クリケットでプレイできなかったことはとても残念です。ポロックなど、最高のバッツマンの1人になれたかもしれない選手たち。南アフリカが国際試合に参加できない時代に彼がプレイしていたということを残念に思います。南アフリカからは、とても優れた選手が何人か生まれました。たとえばドナルドは、私がこれまで見た中で最も優れたボウラーの1人でした。ですから、彼らはこれまでよりも、もっとずっとクリケットに貢献できると思います。

日本にいらしたことはありますか?

ないです。ないです。本当に楽しみにしているんです。日本に行ったことはありませんし、色々な話を聞いていますから。経済的な面において日本は世界で力のある国ですよね。楽しみにしています。

私たちもお迎えできるのを楽しみにしています!