ニュージーランドの伝説のクリケットプレイヤー
ディオン・ナッシュ
ディオン・ジョセフ・ナッシュ氏(1971年11月20日ニュージーランド・オークランド出身)はニュージーランドクリケットチームでプレイし、1999 年にはキャプテンを務めました。ナッシュ氏は右利きのファスト・ミディアム・ボウラーで、1992年から2001年のそのキャリアにおいて、93のテストウィケットを取りました。2005年6月、ナッシュ氏は国の選手選抜委員にも選ばれました。2008年にはニュージーランドビーチクリケットチームの打者 /ボウラーを務めました。ナッシュ氏はまたオークランド・オーストラリアン・フットボール・リーグでオーストラリアのルールでのフットボールもプレーし、マウント・ロスキル・セインツのプレミアシッププレイヤーとなりました。
ディオン・ナッシュ氏は、当団体のチャリティイベント、スポーツ・エクストラバガンザ2006に参加するセレブリティゲストの1人です。スポーツ・エクストラバガンザでは、スポーツ・セレブリティによる病院への慰問、祝宴、ゴルフデイ、クリケットマッチなどが行われます。以下、日本の訪問を控え、タイラー基金の共同創立者、マーク・フェリスがディオン・ナッシュ氏に行ったインタビューです。
ディオンさん、私共は来週、あなたをお迎えするのを楽しみにしています。
私も参加出来て光栄です。
あなたはたった4回目のテストで5つのウィケットを取り、ロード・クリケット場で50点の得点をあげました。どんな気分ですか?
間違いなく私にとってのハイライトでした。国際的に通じるプレイヤーになれるということを証明しましたし、ニュージーランドの小さな町出身の私が国際的な舞台でも活躍できるのだという自信を与えてくれました。それにこのようなことを成し遂げるまでは、新人プレイヤーとして(チームに)所属しているような気がせず、残りのキャリアに関して不安を感じてしまうのです。
しかもニュージーランドのキャプテンとして南アフリカとも戦いましたよね。そのことについてお話いただけませんか。
大変光栄なことでした。自分の国のキャプテンを頼まれるということはとても特別なことで、私のキャリアにおいて、その段階ではとてもチャレンジングなことではありましたが、クリケッターとして成長するのに良い機会だったと思います。なぜなら自分だけでなく、チームの他のプレイヤーのことも考えなければなりませんし(笑)、個人的なものよりも、チームとしての結果も考えなければならなかったですからね。
オールラウンダーとして、最も手ごわいボウラーと打者を教えていただけませんか?
ボウラーとしてはアダム・ギルクリストが一番手ごわかったです。ララとテンドルカールも手ごわかったですね。私たち(ギルクリストと私)はいくつもの良い試合をしました。おそらく初めの頃は私の方が強かったんじゃないかと思いますが、キャリア後半では彼の方が強かったですね。そして打者としては、ワジム・アクラムとワッカー・ユーニスでしょうね。彼らが一番でした。
次のワールドカップではどこが優勝すると思いますか?
もちろんブラックキャップスです!!それともラグビーのワールドカップについて聞いてますか?それならオールブラックスでしょうね(笑)!!もちろん、どうしたってオーストラリアをひいきしてしまいますが、実際にはトップの5~6チームはそんなに大差がなく、どのチームが勝ってもおかしくないと思います。しかも試合はウエストインディーで行われますからね。どのチームが一番ここのコンディションにフィットするかわかりません。
あなたは現在ニュージーランドの選手選抜委員を務めていらっしゃいますが、最近引退したばかりで、現在のチームの選手とも大変親しい仲で選手を選ぶのは難しくありませんか?
えぇ、以前はとても親しかったですけどね(笑)!!!今はわかりません。これもキャプテンの仕事のようなものです。チャンスがめぐってきたときには、老いぼれるまで待つよりも、今の方が若くてエネルギーに満ち溢れていると思いましたが、この仕事の一番大変なところは、一緒にプレーした仲間に電話をすることなんです。しかし目的をはっきりさせ、電話をかけ、チームにとってベストな決断をするのです。
ここで質問です。私共は先日、あなたもよく覚えていらっしゃるでしょう、リチャード・ボウター氏(ブラッキー・ローレス氏)と話をしたのですが、彼は 1992年のキャッスルストリートでのインターフラット・トゥルニエのファイナルであなたのことをアウトにしたと言っていますが、ちゃんと教えてください。あなたはタッチしたのですか?
彼は興奮しすぎだったんですよ。私はパッドの内側を叩いたんです。もし私の記憶が正しければ、キーパーは追いつきませんでした。だから彼がまだそれをウィケットと言っているのにはびっくりです。当時、キャッスルストリートにはTVの再生やSnick-o-metersもなかったので、どちらが正しかったということを証明する術はありませんが。私はパッドだと感じ、彼はバットの外側だと感じたんです。ただ、私は彼に降参する準備が出来ていなかったのです。彼は”ハドリーシャッフル”を持っていたのかもしれませんね。でも類似点はそこまでです(笑)。
父親としてはどうですか?
ええ、とても素晴らしい経験です。旅に出るとき最もつらいのは、フェラと離れなければならないということです。
あなたは以前にも日本にいらっしゃったことがあると思いますが、今回の日本滞在で特に楽しみにしていらっしゃることはありますか?
特にはありませんが、このようなイベントにご招待いたdたけるのはとても光栄で、おそらく素晴らしいイベントになるであろうと確信しています。これまで日本に行ったときは、いつも短い滞在で、知り合いもいないので、今回は日本に詳しい方と一緒に出かけられれば良いなと思っています。とても楽しみにしていますよ。
ディオンさん、ありがとうございます。また後日お会いしましょう。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。