2006年8月1日

インタビュー:南アフリカの伝説のラグビープレイヤー ジョエル・ストランスキー氏

南アフリカの伝説のラグビープレイヤー ジョエル・ストランスキー氏
南アフリカの伝説のラグビープレイヤー
ジョエル・ストランスキー氏

ジョエル・セオドア・ストランスキー氏(1967年7月16日生まれ)は元南アフリカラグビーユニオンのフットボーラーで、1995年のラグビーワールドカップファイナルでウイニングドロップゴールを決めたことで有名です。彼はフライハーフを務めました。

ジョエル・ストランスキー氏は、当団体のチャリティイベント、スポーツ・エクストラバガンザ2006に参加するセレブリティゲストの1人です。スポーツ・エクストラバガンザでは、スポーツ・セレブリティによる病院への慰問祝宴ゴルフデイクリケットマッチなどが行われます。以下、タイラー基金の共同創立者、マーク・フェリスが来日を前にジョエル・ストランスキー氏に行ったインタビューです。

ジョエルさん、ラグビーを引退した後はどんなことをされていたのですか?

私はTV側でラグビーの試合と関わることになりました。週に一度、ラグビーチャットショーでコメンテーターやプレゼンターを務めています。

先日はサッカーをしているとおっしゃっていましたが、そちらはどうなったのですか?

ご存知のように、球技をやっていたスポーツマンは皆、ジムへ行ったり、走ったり、自転車に乗ってみたり…でもすぐ単調になって飽きてしまうんですよ。そんなとき、ベテランズ・リーグ・サッカーに関わる機会をいただいたのです。そこで私はリーグでプレーし、週の半ば、インドアサッカー、ファイブ・ア・サイドやシックス・ア・サイドをしたのです。私は積極的に新しいチャレンジに取り組もうと常に意識しています。時々自分は本当に不器用だな、と感じることもありますが、とても楽しんでいます!

コメンテーターのお仕事に関して、どんなことが一番楽しいですか?またどんなことが一番大変ですか?

南アフリカの調子があまり良くないときでもポジティブでいようとするのが一番大変でしたね!商品を売るテレビ局で働いていて、その商品が良くないとしても、その商品のことをボロクソに言うわけにはいきませんよね。スプリングボックスがあまり調子が良くないときやスーパー14サイドが圧倒されていないとき、それが一番大変でした。前向きにイマイチな商品をプロモートすることが大変でした。素晴らしい面は私の情熱です。情熱を注いでいることについて話をし、お金をもらえるということはこれ以上なく素晴らしいことです。

ジョエルさん、私たちのコミッティーには何人かニュージーランド人やオーストラリア人がいます。ということは、トライネーションズの話です!南アフリカのラグビーについてはどうお考えですか?

私はあまり調子が良くない原因はフィールド以外の問題や政治的なドラマが大きく関係していると思います。手を挙げている素晴らしい選手はたくさんいると思います。ピエール・スピースなどです。ワイナンド・オリビエも素晴らしい選手でした。私たちに才能があったのは間違いありません。ジェイク・ホワイトが戦略やスキルレベルを改善出来るかが、私たちにとって最大のチャレンジでした。来年のワールドカップで勝つということはとても大きな頼みですが、不可能なことではありません。たくさんの若い選手を迎え、良い形で今年のツアーを締めくくり、来年のワールドカップに向けて準備が出来ればと思っています。

もしワールドカップで南アフリカが優勝しないとすれば、どこが勝と思いますか?

あなたがたのコミッティーのオールブラックメンバーの前でこんなこと言うのは何ですが、オール・ブラックスはワールドカップの前にピークに到達して、肝心なときに負けてしまう傾向があるんです。今まで調子が良かったのに、ある日突然、最後の数試合に来て、だめになる、とは言いませんが、突然私たちが見慣れているようなプレーではなくなってしまうんです。彼らがワールドカップで強豪となるのは間違いないですが、現時点では一度もワールドカップで優勝したことはありませんが、ホームであるフランスが一番の強敵となるのではないかと思います。

同じテーマですが、私の同僚のために“ドロップゴール”についてもお聞きしなければなりません。1995年のワールドカップファイナルのお話を聞かせていただけませんか?

もちろん!!それは南アフリカにとって初めてのワールドカップで、ホームで行えたことはとても特別なことでした。色々政治的な問題はありましたが…。私たちは最近民主主義国家になったばかりなんですよ。ネルソン・マンデラ氏が釈放されて4~5年後のことでした。選手である私たちにとって、国家が一つになる様を目にしました。おそらくそれが最も特別な部分だったのではないでしょうか。ラグビーという点では、運命は私たちの味方だったとしか思えません。オーストラリア相手に良いスタートを切り、ファイナルまで簡単に進めることは明らかでした。そしてファイナルではオール・ブラックスの方が経験豊富で、有利だったことは間違いありません。しかしまたしてもゲームの行方はわからないものです。私たちは乗っていました。私たちの日だったのでしょう。私たちは全力でオール・ブラックスの攻撃を守りました。得点や数え切れないほどのトライの中、私たちは何とか守り抜きました。ロムはその日、とても静かでしたし、この日まで、一度もスプリングボックスに大してトライをしたことはありませんでした。私たちは一生懸命頑張り、本当に調子が良かったので、延長戦に入ったとき、私たちは初めてこれは私たちが勝ちに行くゲームだと信じ、すると最後の15分~20分の間で、急に自信と力が沸いてきたのです。ドロップゴールのチャンスがやってきたとき、私は後列に向かって動くように叫び、オール・ブラックスのディフェンスの形を見ながら動きを変え、幸運にもキックが入ったのです!あとは彼らが言うように歴史となりました!

確かに!ジョエルさん、一緒にプレーした中でベストプレーヤーを挙げていただけませんか?

もし一緒にプレーしたスプリングボックスのプレーヤーから挙げるならば、才能がある選手はいっぱいいますが、おそらくマーク・アンドリュースでしょう。彼はワールドカップの間、私のルームメイトだったので、ちょっとひいき目に見ているところもあるかもしれませんね。でも彼は大変素晴らしいプレイヤーでした。オス・デュランドもケガから素晴らしい復帰を果たしましたね。ナンバー8のゲーリー・タイクマンも素晴らしい選手でした。UK時代で言えば、一緒にプレーし、光栄にもコーチもさせてもらったマーティン・ジョンソンが一番のプレーヤーでしょうね。私のWorld XV(世界選抜)を選ぶとすれば、私が名前を書くであろう2名はマーティン・ジョンソンとマーク・アンドリュースでしょう。バックに関しては、大変ガッツと才能のあるプレーヤーたちがいましたので、その中から1人や2人選ぶのは至難の業です。しかし私は幸運にもキャリア初期、大変素晴らしいダニー・ガーバーと一緒にプレーする機会に恵まれました。後期目立っていたのは、どちらかと言うと私が対戦した相手の選手でした。ティミー・ホーラン、ジェイソン・リトルといった選手です。フライハーフとして、ディフェンスでタックルするとき見ているのは、自分たちの反対のナンバーの選手というよりも、こういった選手たちです。彼らがいつも私の心配の種でした。

クリケットをプレーしたことはありますか?

信じてもらえないかもしれませんが、実は若手プレーヤー向けの地域のクリケットチームであるウエスタン・プロビンス・プライマリースクール・クリケットでプレーしていたんですよ。でもその後、ラグビー中心の生活になったのです。でも本当に楽しみにしていますよ!

あなたのスキルを拝見するのを楽しみにしています!日本に行かれたことはありますか?

行ったことがないんです。それもこの素晴らしいイベントを楽しみにしている理由の一つです。

日本ではどんなことを期待していますか?

あまり多くについて知りません。ただ何でしたっけ・・・?日本人はとても革新的でテクノロジーは最先端を行っています。私は初めての世界のテクノロジーの体験を楽しみにしています!

ぜひ体験していただけることを祈ってます。数日後またお会いしましょう!

良かった!ご招待いただきどうもありがとうございます!