2010年8月1日

アキ・クボタ

フィリピン、セブ島生まれの日本人とフィリピン人を祖先にもつ青年は、海外で働きたいと切望しました。2006年の年末、その青年は安定した仕事と生まれ育った地を離れ、彼の祖先の地である日本にバックパック一つでやってきました。それが今月のスター・ボランティア、アキ・クボタさんです。来日後、アキさんは東京を拠点とし2007年にアセンダント・ビジネス・ソリューションズ(ABS)に入社しました。アキさんは「ABSとの最終面接の際、タイラー基金にボランティアとして関わってもらいたいとの話がありました。今までNPOに貢献した事がなかったので大変興味をもちましたし、ITという立場から関われる事を嬉しく思いました。」と語っています。ABSの会長であり、タイラー基金の副理事長であるマーク・フェリスは「アキさんはタイラー基金の ITリーダーであり、ニュースレターの配信やホームページの管理などにおいて厳しいスケジュールにも関わらす、忍耐強く、そしてしっかりと期日内に仕事を終わらせてくれるのです。そしていつからかアキさんはタイラー基金の『忍耐強い先生』となっていました。」と語っています。

きっと多くの人がタイラー基金のボランティアと聞いて、真っ先に思い浮かべるイメージは子どもたちと一緒に遊んだり、病院やシャイン・オン!ハウスなどで開かれるイベントに参加したり、資金調達イベントに参加する様子でしょう。そしてほんの一部の人達のみ、影でタイラー基金のIT分野を支えてくれているアキさんの存在を知っているはずです。「アキさんなしではウェブ上でのスポーツ選手たちへのサポート、ニュースレターの配布、マジックのような素晴らしいホームページの構成はできなかった事でしょう。」とタイラー基金理事長のキム・フォーサイスは語っています。

「いつでも寛大であれ」このように語るアキさんは長く奉仕活動に関わってきました。「カトリック系の学校でサッカー・チーム、数学クラブ、新聞クラブなどには参加せずに宗教の授業でボランティア活動をしていました。「Adopt a Brother/Sister」というプログラムで街のスラムにある小学校を訪問しました。かれらの生活の質を向上させるだけではなく、教育を通じて彼らの夢をサポートするのが目的でした。勿論堅苦しい内容だけではなく、楽しませることも忘れませんでした。」このように学生時代からすでに社会貢献が身近な存在だったアキさんは、タイラー基金のニュースレターやホームページについて「子ども達の笑顔の写真を見ると本当に心が温まります。特に入院中にも関わらず、笑顔の子ども達の写真を見ているとタイラー基金は子ども達のために多くの事を可能にしていると思います。僕のタイラー基金への貢献は直接的ではありませんが小児がんの子ども達のためです。 資金調達イベントのためのオンライン支払いのセッティングは、面倒な支払いをスムーズにするために必要不可欠です。」

驚く事ではありませんが、会社を出るとアキさんは友人達と東京の公園に出かけたり、カラオケで熱唱したり、居酒屋で食事をしたりとコンピューターとは距離をおいた生活をしているそうです。週末はサッカーで汗を流すだけではなく、絵を描いたり、写真を撮ったり、ギターを弾いたりと多彩な趣味を楽しんでいるそうです。

アキさんはタイラー基金の「影の立役者」でした。そして彼に「またね」と言わなければならない事は本当に切ない気持です。何故ならアキさんは7月にフィリピンに帰国し、家業を継ぐ事になったからです。これからアキさんは東京とは別世界、潮風と白い砂浜のセブ島で生活するのです。アキさんは「タイラー基金のスタッフとの仕事は本当に楽しかったし、多分新し生活の中で懐かしむ事になると思います。彼らは今まで一緒に働いてきた人たちの中でとても素晴らしい人達で、3年間一緒に働く事ができて本当に光栄に思っています。」と話してくれました。

お別れにあたり、アキさんの素晴らしさを再認識させられました。キムは「タイラー基金はアキさんの忍耐強さと献身的な仕事に感謝の気持ちを伝えきる事はできません。タイラー基金の”顔”であるニュースレターやホームページはアキさんの協力なしには存在しませんでした。私達はアキさんのような素晴らしいTIボランティアに恵まれた事を心から感謝しています。」と語っています。タイラー基金はアキさんの次なる冒険の幸運をお祈りしています。