2011年4月21日

スーザン・グリッフェンさん

スーザンさんとご主人、娘さん写真
スーザンさん(中央)とご主人、娘さん

手書きで「NOT」と書かれた青いTシャツ姿で、スーザン・グリッフェンさんは今月の晴れた日曜日、彼女だけのマラソン大会を完走しました。ご主人のティムさんが「Not so Nagano マラソン」(長野マラソンとまではいかないけれど)と名付けた今回のマラソン、スーザンさんは皇居周回コースで42キロを走り、タイラー基金の認知度を高めるとともに寄付金を募ろうと考えました。

今月のボランティア・スポットライトのインタビューのために彼女にお会いしたのは、皇居マラソン挑戦の数日前のことです。彼女はこう語ってくれました。「4月17日に開催されるはずだった第13回長野マラソンが私にとっての13回目のマラソンになるはずでした。今年は東京マラソンの抽選にもれてしまったので、タイラー基金の支援のために長野マラソンにエントリーしました。でも東北の大震災の影響で大会が中止になってしまったのです!」そして、皇居周回コース(1周5キロ)を一緒に走ってくれる友人たちの助けも得てスーザンさんはマラソンに挑戦しました。

「...自分で(皇居を周回するマラソンを)やりとげようと思ったのです。フルマラソンの距離を走ろうと思いました。」マラソンの距離を完走するには、コースを8周しなければなりません。彼女は今回の試みに対して、このように語っていました。「ひとりで走るので、自分の記録に挑戦するしかありません。(皇居周回コースは)人が多くて混雑しているので、実際はすごく難しいだろうと思います。ティムが水や軽い食べ物を用意してくれて、私の『応援団長』になってくれるでしょう。」
スーザンさんの挑戦は終了しましたが、彼女へのサポートとタイラー基金への寄付は今も受付中です!

このように、スーザンさんは素晴らしいアスリートであると同時に、タイラー基金の素晴らしい友人でもあります。タイラー基金の設立者で理事長のキム・フォーサイスはこう語っています。「タイラー基金設立当初から、スーザンさんはずっと熱心に支援してくださいました。タイラー基金のために、毎年(今年はかないませんでしたが)シャイン・オン!マラソン・チャレンジに参加していただき、たくさんの寄付金集めに貢献していただいています。それに加えて、彼女とティムはタイラー基金が開催する秋の『お祭りイベントの常連さん』としても熱心に参加していただいています。」

実際、グリッフェン夫妻は楽しいことが大好きで、ダンスフロアーでも常に目立つ存在です!スーザンさんはジャザサイズを体験したことで、走ることや走り以外でもその能力を発揮するようになりました。彼女によると、大使館で催されたジャザサイズのレッスンに参加したことが、その後の仕事や走ることにつながったといいます。ジャザサイズが本当に楽しくて大好きになった彼女は、アメリカに戻ったときにフランチャイズ権を取得して自分の仕事にしようと考えたほどです。
その後ふたたび日本に帰って来ると、指導者として東京アメリカンクラブでも、エアロビクスのステップのクラスを教えるようになりました。フィットネスへの強い関心が花開いたのです!また、ジェーン・トランパーさんとの出会いが走ることにつながり、スーザンさんは初めてのマラソンをホノルルで体験することになりました。ジェーンさんはなんとその時50歳で、50回目のマラソン完走に挑戦していたのです!(先日、彼女は101回目のマラソンを完走しました!)

世間は狭い、といいますが、スーザンさんと私の娘は大学が同じで、オハイオ州のウィッテンバーグ大学に通っていたことがわかりました。そのウィッテンバーグ大学は、スーザンさんがご主人となるティムさんと出合った場所なのです。ミシガン州ブルームフィールド・ヒルズ出身のスーザンさんはビジネスを専攻、ティムさんは東アジア研究学部にいました。二人は1983年に結婚し、ティムさんが早稲田大学で日本語を勉強する目的で日本にやってきました。「ずっと日本に住むことになるとは思ってもみませんでした。ティムが大学に通っている間だけと思っていましたから。」途中、アメリカに数年間戻りましたが、東京で生活の基盤を作り、夏の間だけミシガン北部で過ごすという素敵な暮らしをされています。スーザンさんにはザック(22歳)、サミー(20歳)、ハイジ(18歳)の3人のお子さんがいらっしゃいます。

さらに、スーザンさんは東京イングリッシュ・ライフ・ライン(TELL)の役員として、積極的にボランティア活動を行っており、今年5月開催のTELLチャリティ・ウォーク&ランは、運営責任者として5年めの活動となります。また、国際難民支援会でのボランティアや、お子さんたちが小さかった頃には、西町インターナショナルスクールのガールスカウトでも、ボランティアの精神をいかんなく発揮しておられました。

タイラー基金でのボランティア活動については、こう語っています。「キムとは東京アメリカンクラブの理事会パーティーで知り合い、話をするようになりました。キムの精神的な強さにはっとしましたし、東京マラソンを走ってタイラー基金に貢献できるということを教えてもらいました。キムとマークはとても魅力があり、情熱的でクリエイティブな考え方の人であり、有能な人たちに囲まれています。タイラー基金は素晴らしい組織だと思います。昨年2010年の東京マラソンは、今にも雪が降りそうで、凍えるような寒さという最悪の天候でした。私はビーズ・オブ・カレッジ(勇気のビーズ)を身に付けていましたが、レース中は本当に辛くて苦しい状態でした。」レースは棄権して、ビーズをティムに渡してしまおうか、という思いがずっとスーザンさんの頭をよぎっていました。しかし、彼女が身に付けていたビーズはなんとしてもゴールしなければならないものだったのです。「あの時は本当に完走するのは無理だと思いました。ビーズがなかったら、最後まで走り切れてはいなかったでしょう。」これこそがビーズ・オブ・カレッジの意義なのです。「子どもたちのために。子どもたちを助けたい一心でした。子どもたちのご家族のためにも。自分の子どもがあのような苦しみを経験しなければならないのは、親にとっては耐え難いことでしょう。子どもを持つ身なら、その苦しみは他人事ではありません。子どもがいなくても、誰しも自分自身が子どもだった時代があるのですから、共感できるはずです。」

タイラー基金を代表して、キムはこう言います。「スーザンさんにはいつもかわることのないエネルギッシュな支援をいただき、感謝の気持ちで一杯です!」
私たちにとって特別なボランティア、スーザンさん。これからもますますマラソンでのご成功をお祈りします。いつの日か、あのメドック・マラソン(ボルドー・ワインの中心地メドックで開催され、ランナーは仮装し、給水所にはワインやチーズ、牡蠣が置いてある)に参加されますように!

デブ・ウェニッグ