2011年7月22日

ドミニク・アレン

DJ ドミニク・アレン

来る9月30日にグランド・ハイアット東京で開催されるホワイト・ホット・エクストラバガンザで、ボランティアDJとして協力していただける、素晴らしいDJ、ドミニク・アレン氏のインタビューをお届けいたします。

 

 

ご自身のことについて教えてください。

私は、東京で、ドイツ・イタリア系の母とイギリス人の父との間に生まれ育ち、東京のインターナショナル・スクールに通いました。このインターナショナル・スクールは、私がこれまでの人生の大半を過ごしてきた場所でもあります。テンプル大学卒業と共に経済学士を取得し、NHKワールドで日本の最新のコンピュータ・ゲームやアニメ、漫画などを紹介する「イマジンネーション」というテレビ番組の仕事を担当しました。また、私は熱烈な音楽ファンで、フジ・ロック・フェスティバルやサマー・ソニック・フェスティバル、ラウドパーク等々といった音楽フェスでアーティストのコーディネイターもしています。それから、日本航空のDJも4年ほどやっておりまして、幅広く多彩な催し物でさまざまな音楽スタイルのDJを務めました。大使館のパーティー、あるいはホテル・サービスの一環として、はたまた野外電子音楽フェスティバルやクラブでも働きました。趣味は、旅行、園芸と、大型スクーターに乗ることです。

DJ ドミニク・アレン

タイラー基金とはどういうきっかけで?

2年くらい前に仕事でキムさんと出会い、彼女の基金に興味を持ちました。それで、日々、がんと闘っている子どもたちのために小児病院で開かれるタイラー基金のイベントでDJをすることになり、そのときの体験に大いに触発されたんです。

タイラー基金を支援しようとする人たちに何かメッセージをお願いします。

がんに苦しむ子どもたちのために、ためらわず、時間なり物品など寄付してあげてください。誰も平静ではいられない無慈悲な病に対抗してできることは、それくらいしか無いのですから。

余暇はどんなふうに過ごされるのがお好きですか?

ビーチに行ったり、山でキャンプしたり、できるだけ頻繁に温泉に行くのが好きです!

ボランティア活動は、本当に報いの得られる活動で、関わる誰もが恩恵を得られるものだと確信しています。逆境でずたずたに裂かれた傷を切れない糸でつなぐということで、私は自分が何か手伝えることがあると感じるのです。たとえば3月に日本を襲った凄まじい震災の後、私は福島第一原発の約40km南にある、特に甚大な津波被害を受けた村に行き、残された残骸を撤去するボランティア活動に参加しました。この体験は、村民の皆さんの役に立っただけでなく、放射能の危機に見舞われたあの時期に、私自身が恐怖を克服する支えにもなりました。ボランティア活動は、このように精神を落ち着かせる下地となりましたし、今後もずっと私の心の中に拠り所として生き続けるでしょう。

ブラック・リスト東京について教えてください。

ブラック・リスト東京は、豪華なパーティと素敵なコミュニティをこよなく愛する2人のフランス人、CedricとBenoが2005年の12月に設立しました。東京の最新かつ最も豪華なクラブを運営し、トレンディーなフレンチ・クラブ独特の雰囲気を届けて、ブラック・リストは東京の高級「完全会員制」イベントを組織するグループとして悪名を馳せています。世界中で知られる最上のディープなハウス/エレクトロ・ミュージックを流し、超トレンディーな人々や環境を保証するために、すべてのパーティーがブラック・リストの会員と会員の最も近しい親友だけに限定されており、東京のトップ・エグゼクティブ、セレブ、ハイクラスなメディアを惹き付けています。

私は最近ブラック・リスト東京の公式代表DJになり、ブラック・リスト東京で開かれるすべてのイベントでDJを担当しています。プロモーション、音楽制作、イベント・コーディネイター、関連プロジェクトも手伝っており、遠くアジアの果ての先までもブラック・リスト東京をひびかせる一助となれればと願っています。それから、毎週木曜日は、ANAインターコンチネンタル・ホテルのMIXXバー&ラウンジでもブラック・リスト東京のDJをしています。ブラック・リスト東京の次の大きなイベントは、ペニンシュラ・ホテル、ル・バロン・ド・パリ、XEX日本橋で開催される予定です。

 

 

ブラック・リスト東京は、彼らが開催するイベント会場にタイラー基金の募金箱を設置したりタイラー基金の告知を行ってくれています。

ブラック・リスト東京についての詳細はwww.blacklisttokyo.comをご覧ください。