追悼 熊谷昌明先生

熊谷先生とタイラー

追悼
シャイン・オン!キッズの前身である、タイラー基金の主要メンバーとしてご尽力いただき、多大なる貢献をいただいた熊谷昌明先生が、2012年3月1日、その生涯を閉じられました。この訃報に接し、深い悲しみにたえません。心からご冥福をお祈り申し上げます。 

熊谷先生は、わが国屈指の小児腫瘍専門医でした。その激務の傍ら、タイラー基金の設立時から様々な活動の原動力となって、6年もの間、私たちを支えて下さいました。

熊谷先生は、私たちの使命と活動の意義に強く共鳴して下さいました。先生のお力添えがあったからこそ、2006年に国立成育医療研究センターにおいて当基金初のプログラム「シャイン・オン!カウンセリング&サポート・プログラム」を立ち上げることができたのです。その後も様々なプログラムやタイラー基金の指針策定に関し、熊谷先生からは常に賢明で洞察力に溢れたご指導を頂きました。

熊谷先生は1982年に慶應義塾大学医学部をご卒業、後に国立小児病院の血液科レジデントになられました。1993年から1995年までの3年間、米国セントジュード小児病院にてリサーチフェローとして過ごされています。2008年からは、国立成育医療研究センターにて固形腫瘍科医長を務めてこられました。基金設立のきっかけとなったタイラーは、2003年から2005年まで、熊谷先生に担当していただきました。タイラーが先生と巡り会えたのはこの上なく幸運なことでした。

熊谷先生は神経芽腫に対する臨床試験を主任研究者として行われ、この臨床試験治療は「熊谷プロトコール」と呼ばれました。熊谷先生とともに過ごしたかけがえのない日々の思い出に心から感謝し、先生の残された偉大な功績に敬意を表したいと存じます。

2006年のタイラー基金設立の際、熊谷先生からいただいた力強いお言葉です。

私は国立成育医療研究センター血液科の熊谷昌明と申します。私は成育センターの前身である国立小児病院血液科に1986年に赴任して以来、1,000人近くの小児がんの子どもたちの診療にあたって参りました。また、1993年からの2年間は米国の小児がん専門病院であるセントジュード小児病院において白血病の研究に従事する機会を与えられ、同時に小児がん治療の先進国である米国の臨床に接して参りました。

小児がん治療の進歩は目覚しく、40年前にはほとんど「不治の病」であったものが、現在では7割以上の患者さんに治癒がもたらされるに至っています。しかし、治療内容は厳しく、高度になっており、多くの場合、闘病中の患者さんとその家族への負担はより大きくなっています。その一方で、現在の医療をもってしても治癒が難しい疾患が存在します。残念なことに私たちは今でも2割以上の患者さんを失っているのです。私たちは、そのような難治疾患の克服に向けて研究を進めるとともに、患者さん、ご家族の負担を減らし、闘病の毎日がより明るいものとなるように努力しております。

タイラー基金は、私たちの愛した患者タイラー・フェリスを記念して設けられました。タイラーは2003年8月、生後1ヵ月足らずで乳児白血病を発症しました。タイラーの血液には1立方ミリメートルあたり150万個という、測定機械の限界を超えるほどに高度の白血病細胞の増殖がみられました。ICUで人工呼吸、血液透析のもとに開始された治療が奏効し、白血病細胞は検査では確認できないまでに減少しました。その後、母親からの骨髄移植が行われ、私たちは治癒への期待を持ちました。しかし、骨髄移植から9ヵ月後に再発が確認され、2005年6月、タイラーの2年足らずという短い命の灯は消えました。

タイラー自身、ご家族、そして私たち医療スタッフは力を合わせて闘いましたが、残念ながらゴールにたどり着くことはできませんでした。私たちはひょっとすると後一歩のところまで到達していたのかもしれません。しかし、その一歩を得るためには、まだ多くの人たちの努力と研究が必要だと思われます。タイラー基金は、小児がんの子どもたちの命を救いたいと考え、努力している人たちにささやかながらご支援を行いたいと考えています。

タイラー基金は、研究だけではなく、患者さんとご家族を幸せにするための援助を行いたいと考えています。治療は、患者さんとご家族のそれぞれに体の上でも気持ちの上でも大きな苦しみをもたらします。患者さんにとっては、毎日の投薬や検査の辛さ、家に帰れない寂しさであり、ご家族にとっては、子どもを失うかもしれない不安、子ども一人を病院に残す苦しみ、逆に残された家族と別れて暮らす辛さなどです。このような苦しみを少しでも軽くし、病院での日々をより明るくするための援助が行えればとタイラー基金は考えています。

私が小児がんの患者さんを見ていていつも思うことをお話して結びとしたいと思います。小児がんの患者さんは「可哀想な」子どもではありません。もちろん落ち込んだり、怒ったりすることもありますが、皆、幸せでいきいきとしています。健康な子どもと変わりなく、笑ったり叱られたりしています。また、私たちはそんな彼らに励まされて毎日の仕事に向かうことができるのです。

タイラーは驚くべきことにその人生の大部分の時間をニコニコ笑って過ごしていました。タイラーの笑顔は、私たちを勇気づけ、精一杯の仕事ができるように支えてくれました。

小児がんの子どもたちの幸せのためにタイラーが残してくれたこのタイラー基金を通じて、皆様のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

国立成育医療研究センターで活動中のファシリティドッグ・マサは、団体設立の大切なきっかけをくださった熊谷先生のお名前から命名されました。

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